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東京地方裁判所 昭和33年(ワ)8916号 判決

原告 戸井田とよ 外五名

被告 阿部力蔵

主文

被告は、原告戸井田とよに対し金一〇万円、その余の原告らに対し各金三万円を支払え、

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの負担、その余を被告の負担とする。

この判決は被告ら勝訴の部分に限り、原告戸井田とよにおいて金三万円、その余の原告らにおいて各金一万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告戸井田とよに対し金二〇万円、その余の原告らに対し各金六万円、を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

(一)  原告戸井田とよは訴外亡戸井田善四郎の妻、その余の原告らは右両名間の嫡出子であり、被告は、「日の出ドライヴクラブ」を経営し自動車の運転免許を有する初心者等に対し実地運転指導等の業務を行つていたものである。

(二)  訴外戸井田善四郎は、昭和三二年七月一九日午前九時五〇分頃、東京都千代田区九段一丁目一二番地先道路上を、足踏二輪自転車に乗用し、九段坂下千代田区役所方面から九段坂上方面に向い、その左側歩道寄りを前進中、折からその後方を同一方向に向い進行して来た被告の同乗し訴外山下元基の運転する自家用普通乗用車(車輌番号第五む四八六二号)にその場で追突され、自転車もろとも道路上に転倒し、右乗用車の下敷きとなり、よつて内臓内出血等の傷害を受け、同日午前一一時五〇分頃、東京警察病院において、右傷害に因り死亡するに至つたものである。

(三)  訴外善四郎の右死亡は、被告と訴外山下との共同不法行為に基因するものである。すなわち

(1)  訴外山下は、昭和三二年六月一五日頃、東京都公安委員会から普通自動車の運転免許を受けたものであるが、運転の技術は未熟なうえ、都内運転の経験もなかつたので、運転実務の向上をはかるためその指導者を求めていたところ、同年七月八日附産経新聞夕刊紙上に広告主日の出ドライヴクラブの「クラウン、オースチン、ルノー、ダツト、新車専門、免許有初心者歓迎、都内運転親切指導」との広告を発見し、翌九日頃、右クラブを訪れ、被告との間に、指導料一日金一〇〇〇円、同月一五日より毎日一時間づつ指導を受ける、との約束のもとに入会金五〇〇円を支払つて右クラブに入会し、同日頃より被告の都内実地運転の指導下に服して来た。

(2)  しかして前記事故当日も、訴外山下は、前記乗用車の助手席に被告の同乗を得て、その指導のもとに実地運転に従事し、右乗用車を運転して九段坂上附近から皇居お濠り端を廻り前記千代田区役所附近にいたり、九段坂下交叉点を左折して再び九段坂上方面に向つたところ、前方に訴外善四郎の乗用する自転車が左側歩道寄りに、また氏名不詳者の乗用する自転車が都電軌道寄りに、いずれも九段坂上方面に向い進行しているのを認めたが訴外山下は両自転車の間を容易に通過することができるものと軽信し、クラクシヨンを鳴らして進行を続け、氏名不詳者の乗る自転車が都電軌道寄りに避けその間を山下らの右乗用車より先に自動三輪トラツクが通り抜けて行つたのに従い山下も右トラツクの後を追い、両自転車の間を通過しようとしてハンドルをやや右に切り進行したところ、助手席に同乗していた被告は、「右側に寄つては危い!」と叫び突然ハンドルに手をかけ、急激にこれを左側約四五度の角度に切つたので、山下は不意をくらい、そのハズミに右足で強くアクセルペタルを踏んだためスピードを増し、乗用車は右左斜前方に冒進し、折からその左斜前方を進行していた善四郎の乗る自転車に追突し、これを転倒せしめ、よつて前記傷害を負わせ遂に死亡するに至らせたものである。

(3)  従つて本件事故は、被告および訴外山下が前方注視義務を怠つたこと、前記(2) 記載のごとく被告が突然山下の操縦するハンドルに手をかけしかもこれを急激に操作したことおよび山下がアクセルの操作を誤つたこと、危害発生防止のため急停車する等の措置をとらなかつたこと、など自動車運転者としての必要な注意義務を怠つたことにより生じたものである。しかも被告は山下とした前記(1) 記載の契約に基き、山下の自動車運転を監督指導すべき法律上の義務を負担しているのに、不注意にも同人の右過失行為の防止につき適切な指導監督を誤り、且つ自らも前記のごとき過失をひきおこしているから、共同不法行為者としてその責を負うべきである。

(四)  原告らは、被告の前記不法行為に基く訴外善四郎の死亡によつて次のような精神的損害を蒙つている。すなわち、

(1)  善四郎は死亡当時四七歳(明治四二年六月八日生)で駐留軍要員としてパーシンクハイツに勤務し、月収金二万八〇〇〇円を得、原告ら一家の支柱として生計を維持して来たのに、同人の死亡により、原告らの生活は破壊され、その悲嘆ははかり知れないものがあり、現在、原告とよ(明治四三年一一月三〇日生)は東京都江東区立第三砂町小学校の給食調理士として月収金八五〇〇円を得、原告敏子(昭和一一年八月一六日生)は日本専売公社業平工場工員として勤務し、原告弘子(昭和一三年七月九日生)は藤倉電線株式会社深川工場工員として月収金九〇〇〇円を得、原告やよい(昭和一六年一月一日生)は京浜港通関に勤務して月収金七五〇〇円を得、原告好子(昭和一八年六月九日生)は日本フイルター工場に勤務して月収金四〇〇〇円を得、原告輝男(昭和二二年七月二六日生)は現在小学校に在学中であり、以上原告ら一家の総収入は金三万七〇〇〇円前後であるが、生活費に月約金二万七〇〇〇円、子供の小遣銭その他に月約金一万三〇〇〇円以上総計金四万円前後を要するため、毎月約金三〇〇〇円前後の赤字を出している状態で、夫であり父である善四郎を失つたことにより原告らが蒙つた精神的損害ははかり知れないものがある。

(2)  被告は明治四〇年七月二三日生で、妻子六人をかゝえ借地約四〇坪上に建物二棟を所有し、日の出ドライヴクラブ経営のため相当数の自動車を所有し、これを一台につき一時間約金四五〇円で賃貸するなどして月収金三〇万円内外を得ている。

右原、被告ら相互の事情を考慮すれば、被告は原告らを慰藉するため、原告とよに対しては金二〇万円、その余の原告らに対しては各金六万円を支払うべき義務がある。

よつて、原告らは、被告に対し、右金員の支払を求める。

と述べた。〈証拠省略〉

被告訴訟代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、原告ら主張の事実のうち

(一)および(二)は認める。

(三)の(1) のうち、山下に都内運転の経験がないこと、被告と山下との間に原告主張の如き契約が結ばれその主張の如き金員が授受されたことを除きその余の事実を認める。山下は東京都公安委員会から運転免許をうけたのであるから、右免許をうけるにあたり当然に都内を実地運転しているはずである。また被告は山下との間に、入会金三〇〇円、指導料一時間金五〇円と定めて昭和三二年七月一六日から同人の実地運転の指導にあたつていたが、その指導は営利的なものではなく、むしろ奉仕的なものであつた。

(三)の(2) のうち、事故当日被告が山下運転する乗用車の助手席に同乗し山下の運転を指導していたこと、山下運転の乗用車で原告主張の如く皇居お濠り端を廻り九段坂下交叉点を左折したところ、進路前方に九段坂上方面に向う二台の自転車を認めたこと、および山下運転の乗用車が善四郎乗用の自転車に追突したことを認め、その余の事実を争う。被告は、原告主張の乗用車でその主張の地点にさしかかつた際、その前方に氏名不詳者乗用の自転車が左側歩道端から約三メートルの間隔で前進し、その左側を善四郎乗用の自転車が同一方向に前進していたので、乗用車が両自転車の間を通り抜けることは困難であり、山下運転の乗用車がそのまま直進するときは事故発生の危険もあると考えて山下に対し「除行しろ」「止まれ」と注意指導したが、同人はこれをきかず前進を続けたため、氏名不詳者乗用の右側自転車に乗用車が接触したので、山下に対し「止まれ」と注意助言したが、同人はなおも前進を続け、幸い右自転車は都電軌道寄りに逃避したので危難を免れたけれどもこんどは善四郎乗用の自転車に接触したので、被告は更に山下に対し「止まれ」「止まれ」と連呼注意したが、同人は逆上してしまい、かえつてスピードを増し、右自転車を押し倒してしまつたので、被告はやむなくハンドルに手をかけ、善四郎が車輪の下敷きとなるのを避けるため、左側にハンドルを切り善四郎を左右車輪の中間をくぐらせて事故の大なるを防いだのであるが、同人はその際車軸の一部に当つて負傷するに至つたものである。

(三)の(3) は争う。右のように本件事故は、山下が被告の制止助言に耳を藉さず、逆上の結果夢我夢中で独自の運転をしたことにより生じたものであるから、被告になんら過失がない。

(四)の(1) は不知。

(四)の(2) のうち、被告の生年月日、家族数、日の出ドライヴクラブを被告が経営していることは認めるがその余の事実を否認する。被告は、現在、家屋などの資産をもたず借家住いであり、日の出ドライヴクラブは有限会社に組織替えをし、被告はその代表取締役に就任しているが、同会社の経営は不振をきわめ、月給金三万円をもつて妻子六人の生活をまかなつている状態である。したがつて原告主張のように裕福ではない。

と述べた。〈証拠省略〉

理由

右(一)および(二)の事実については当事者間に争いがない。

(三) そこで善四郎の右死亡が被告の過失ある行為に基因するものか否かについて検討する。

(1)  訴外山下が昭和三二年六月一五日頃東京都公安委員会から普通自動車の運転免許をうけたが、運転技術が未熟で運転実務の向上のためにその指導者を求めていたところ、同年七月八日頃たまたま産経新聞紙上で、被告経営の「日の出ドライヴクラブ」が運転免許を有する初心運転者のため都内実施運転を懇切指導する、との広告を発見し、早速翌九日頃右ドライヴクラブを訪れ、被告から実地運転指導をうけることになつたことについては当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証、被告本人尋問の結果により成立の認められる乙第一、第二号証、証人山下元基の証言(但し後記信用しない部分を除く)および被告本人尋問の結果とを綜合すると、訴外山下は、運転免許は受けたが都内での運転は不慣れで特に危険でもあつたので「日の出ドライヴクラブ」を訪れた際、被告から毎日指導料五〇円自動車使用料四五〇円その他ガソリン代等若干合計約六二〇円の料金で毎日一時間都内運転の実施指導をうける、との約束を得て右クラブに入会し、前同月一六日頃から被告の指導に服するにいたつたものであることが認められ、右認定に反する証人山下の証言部分は信用できずその他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(2)  しかして前記事故当日も被告が訴外山下の運転する前記乗用車の助手席に同乗して山下の運転を指導し(なお成立に争いのない乙第三号証によると、右乗用車の助手席は進行方向に向つて左側にあつたことが認められる。)、山下が右指導のもとに右乗用車を運転して九段坂上附近から千鳥ケ渕を経て皇居お濠り端を一周し九段坂下交叉点を左折して再び九段坂上方面に向つたところ、進路前方に二台の自転車を認めたことについては当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三乃至第五号証、前記乙第三号証、証人山下の証言および被告本人尋問の結果(但し後記信用しない部分を除く。)を綜合すると、前記二台の自転車のうち氏名不詳者の乗用する一台は山下らの乗用者の進路前方約二六米余りの地点にあり車道左端から約三・九米都電軌道寄り車道上を九段坂上方向に走行し、善四郎の乗用する他の一合はその左斜前方約五米の地点にあつて左側歩道寄り車道上を前同方向に走行しており、山下らの乗用車からみるときは右二台の自転車の間には約二・七米の間隙が存したこと(なお前記乙第三号証によると、現場附近の道路には車道歩道の区別があつて、車道部分は舗装されており、その幅員は中央の都電軌道部分を含めて約二〇・六米、勾配は昇り約一〇〇〇分の六三、直線で視界を妨げる障害物はなく、また山下らの乗用車の車体幅員は約一・六八米あつたことが認められる。)、山下は右状況のもとで右二台の自転車の間隙を通過しようと考えて時速約二〇粁乃至二五粁の速力で前進を続け、間もなく右側自転車の背後にせまり警音器を吹鳴し、これをやや右側都電軌道寄りに避譲せしめ(この点は当事者間に争いがない。)、当初の発見地点から約三〇数米前進した地点で右側自転車の左側に並ぶ状態となつたこと、山下はここで右側自転車の左斜前方に進出し左側善四郎乗用の自転車の右横を通つてこれを追抜こうと考えて、まずハンドルをやや右に切ろうとしたがその瞬間、右側自転車との接触の危険を感じた被告は突然「危い」と叫びつつ自ら右手で、山下が左右を握つているハンドルの上部をとつて手前に急激に引いて左把したこと、このため山下は被告の右のごとき突然の言動によつて極度に周章狼狽し、ハンドルをとられた反動であわててブレーキを踏むつもりでアクセルペダルを強く踏み込んでしまい、乗用車は瞬時進路左斜前方へ冒進し、丁度この頃同方向目前にあつた善四郎乗用の自転車の右斜後方から同自転車後部反射鏡部分附近に自車前部ナンバープレート向つて左寄り部分附近を追突させて善四郎をその場に横転させ、同人を自車の車体下部に巻き込み、同人に前記争いのない傷害を負わせたが、この間山下は狼狽の極に達しそのなすべきところを識らず、右乗用車は更に前進して左側歩道上に乗りあげ追突地点から約一五米余りも冒走して漸く停車するに至つたことが認められる。

被告は右二台の自転車と山下らの乗用車との位置関係ならびに右追突に至つた経緯を争い、二合の自転車の間隙は右認定より狭く山下らの乗用車がこの間隙を通り抜けることは困難であり被告は再三山下に対し徐行停止等の指示をしたにも拘らず山下はこれに従わず、現に右側の自転車に追いついてその左に並びこれと接触したときには既に左側善四郎乗用の自転車の背後にあつて追突は必至の状態にあつたものであり、被告が山下の操作するハンドルに手をかけたのは右追突後のことであつたと主張し、前記乙第三号証(実況見分調書)中の被告の指示説明の部分と被告本人尋問の結果中には右主張にそう証憑が認められるのであるが、前記採用の各証拠に照してみると右証憑を直ちに信用することはできず(なお被告が左把した時期については、前記認定のごとく、山下らの乗用車は、善四郎乗用の自転車の右斜後方から追突しており従つて乗用車が右側自転車と平行に並んだ後、左斜前方に進行したことは明らかなのであるからこの際山下か被告かがハンドルを左把したものと考えなければならないところ、山下は前記認定のごとく、二台の自転車の間隙を通過できるものと信じ、ハンドルの左右を握つてこれを右把しつつ足でアクセルを踏み右側自転車の追抜きにかからんとする体制にあつて、右側自転車との接触の危険を感じてこの体制を自ら崩し左にハンドルを切つたと認められる前後の事情はないのに対し、被告は、このとき右側自転車との接触を感じ山下に対し「危い」「止めろ」と連呼注意して事故の回避に当る体制にあつたことが認められるのであつて、この事実からも被告の左把行為が右追突の前の段階でなされたものであることを推認するに難くない。)、その他に以上の認定を覆えすに足る証拠は認められない。

(3)  ところで一般に、自動車の運転なるものは、運転者がハンドル・クラツチ・アクセル・ブレーキ等運転台に備付の各種運転装置を機能的に一体として管理統御してはじめてこれを適確になしうるものであるし、またその操作にはかなりの技術と経験とに基く所謂「カン」に依存する判断を必要とする面が大きく且つこれは運転者の車内における位置とも密接微妙な関連をもつものであるから、運転台にあつて運転機能を直接統括している者が自ら判断操作してこそはじめて適正且つ安全な運転をなしうるものであつて、運転者以外の者が或いは運転台以外のところから運転者の操作に干渉し前記運転装置の一部の操作に当るごとき行為に出ることは運転の適正を誤り或いは安全を害し、事故を惹起する危険性が大きく、従つて何人も自動車同乗者としてはかかる行為に出ることを慎むべき注意義務があるものというべきであるが、特に交通の輻輳する地点や狭路悪路を走行するような場合或いは技術経験の乏しい者が運転に当つているような場合には右のごとき危険性は一層大きいから同乗者としても一層の慎重さを必要とし、いかなる場合にも、横から突然運転装置に手を触れ或いは運転者の運転操作に何らかの影響を与えるような過激な言動に出ることは厳にこれを慎むべき注意義務があるものといわなければならない。しかるに前記争いのない事実ならびに認定の事実によると、被告の同乗し山下の運転する乗用車の前方には二台の自転車が走行し二台の自転車の間隙はきわめて狭くわずかに山下らの乗用車の車体幅員より広い程度にすぎず、また運転者山下は運転免許取得後わずか一ケ月で交通の輻輳する都内での運転経験は乏しくその運転技術も極めて未熟であるのに、同人は右二台の自転車のきわめて接近した間隙を通過せんとして進行を続け現に右側自転車の追抜きにかからんとしていたというのであるから、その運行にはきわめて慎重を要すると同時に右運転は他から干渉を容れる余地のないほど緊張した情況下にあつたものというべく、かかる場合に被告が助手席からは見通しの確実でない自車右前方を走行していた右側自転車との接触の危険を感じたからといつて、いきなり助手席から手を出して運転者山下の操縦しているハンドルを強く引き寄せ左に切る等の行為に出るときはその行為自体所期の目的を達し適正な運転をなすことの期し難いこと前記の通りであるばかりでなく、右行為に出ることによつてかえつて山下の運転を混乱させ事故を発生させる危険性の極めて大きいものであること極めて明白であるからかかる情況のもとにあつては被告は右のごとき行為に出ることを厳に慎むべきであつたといわなければならない。しかるに被告は右のごとき注意義務を尽さず突然前記認定のごとき急激な左把行為に出たものであつて、このためかえつて運転者山下を周章狼狽させその運転を混乱させる結果となり、更に被告の操舵が適正を欠いたため左斜前方に冒進し、自車のほぼ真正面を被害者乗用の自転車の背後から追突させるがごとき異常極端な運行を招来し、因つて以つて本件傷害致死の結果を惹起するに至つたものであるから、右事故は被告の過失に基くものというべく、従つて右事故によつて原告らが蒙つた損害は被告においこれを賠償すべき義務があるといわざるを得ない。

(四) そこで進んで原告らの蒙つた精神的損害についてみると、

(1)  原告らが本件被害者善四郎の妻子であることは前記争いのないところであつて、成立に争いのない甲第一号証ならびに原告本人戸井田敏子の尋問の結果によると、原告らは戦後善四郎を中心に、満州からの引揚者として旧中学校舎の仮アパートに約八年間生活した後、本件事故の約一年前になつて漸く都営住宅に落着き、長女敏子、次女弘子、三女やよいらも学業を終えて就職したので一家に漸く安定した生活への希望がよみがえつて来た矢先、本件の事故に遭つたものであること、特に本件においては善四郎は何の過失もなく車道左側歩道寄りを走行中に全く不意に背後から追突されて死亡したという災難事であつたこと、および遺された家族が、女親と女児四人に男児一人という女世帯であること等の事実からみて、一家の支柱と仰いで来た善四郎を失つたことにより原告らが蒙つた精神的打撃は誠にはかり知れないものがあると認められる。更に原告らの生活面についてみると、善四郎は死亡当時満四八年の健康者であつて駐留軍要員としてパーシングハイツ勤務により月収約二万八〇〇〇円を得て一家の主たる収入源となつていたが、同人の死亡により原告敏子(当時満二〇年)の日本専売公社業平工場工員としての月収約九〇〇〇円(現在約一万二〇〇〇円)、同弘子(当時満一九年)の藤倉電線株式会社深川工場工員としての月収約八〇〇〇円(現在約一万円)、同やよい(当時満一六年)の京浜港通関の職員としての月収約七五〇〇円(現在日本専売公社業平工場工員として月収約九〇〇〇円)の収入をもつてしては生活を維持するに足らず、やむなく原告とよ(当時満四六年)も鉄工所の日雇などとして働きに出るようになり、現在は江東区立第三砂町小学校の給食調理士として月収約一万一〇〇〇円を得、四女好子(当時満一四年)も現在中島鉄工所に勤務して月収約七〇〇〇円を得るようになり、併せて生活の維持につとめている状態であること(なお原告輝男(当時満九年)は現在中学校に在学中である)、が認められる。

(2)  他方被告が明治四〇年七月二三日生で妻子六人をかかえ「日の出ドライヴクラブ」を経営していたことについては当事者間に争いがなく、被告本人尋問の結果によると、被告は本件事故当時五台の自動車を擁し、現在は右経営を有限会社組織に改めてその代表取締役となり、右会社の収入として月額平均約二〇万円をあげていること、および本件事故発生後、原告に対しては見舞金として金三〇〇〇円を持参したのみであることが認められる。

以上の認定に反する証拠はない。

ところで以上の事実と前記認定の本件事実とを綜合すると(なお前記認定のごとく本件事故が被告の過失に基くことは明白であるが、被告としては兎も角右側自転車に対する危難を回避する意識のもとに右所為に出たものであり、助手席にある運転指導者としては事態を傍観放置できない心情にあつたものであることは、情状としてこれを斟酌してよいであろう。)、被告は原告らの蒙つた本件精神的損害慰藉のため、原告戸井田とよに対しては金一〇万円、その余の原告らに対しては各金三万円の支払をなすべき義務があると認めるのが相当である。

よつて原告らの本訴請求は、右の範囲で理由があるからこれを認容し、その余の部分を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条第八九条を、また仮執行の宣言については同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川真佐夫 宮下勇 三宅弘人)

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